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人生がスキー

ski
スキーの指導員って子供のころから憧れだったんだよね~
    
多くの人はスキーが好きで、級とかを目指してる延長上に指導員があったって感じだと思う
自分はスキー指導員になりたくてスキーをしてたんだ
長野県のスキー学校にインストラクターとして勤めてから24年経つけど、指導する熱い気持ちって今も全然変わってません
こんな事を言うと 背負ってるって思われるかもしれませんが
自分としては指導者のプロとしてのプライドも自信もあります
だからなんだよね、組織のアラが多く見えちゃって
オカルトチックで封建的なやり方にどうしてもモノ申してしまう
今日、これから書く事は自分と同じくらい熱い思いを持ってるスキー学校の後輩の事なんですが、よかったら最後まで読んでください
今から20年前、自分はスキー学校でも中堅の4年目となってました
当時は毎年30~40人くらい新人が入ってきてたんです
その中でそこそこスキーの上手い20代前半のTも新人として常勤で入ってきたんですよね
彼は北陸出身
本当は八方尾根スキースクールに入りたかったんだけど、彼の恩師が八方はまだ早いと言う事で自分のいる学校に修行の様な形できたんだよね
(実際はこっちの学校も名門っすよ)
まあ、「八方はまだ早い」ってのも封建的な当時の教えかなぁ
彼はスキーも上手かったし、自分らにも懐いて社交的だったしで多くの先輩に可愛がられてました
スキーが上手くなりたいという情熱もスゴイ伝わってきてたし
将来は八方尾根の先生が目標なのかもしれないが、上手い先輩についてよく練習してた
やる気のある可愛い後輩って感じかな
・・・・・・・
当時、わがスキー学校の風習で新しいユニフォームは先輩が着る。古いユニフォームを1年生もしくは2年生が着るという習わしがあったんです
もちろん1年生のTも古いのを着てたんだけど
しかし、シーズンもしばらく経ったある日、何人かの先輩達が許可をしてTが新しいユニフォームを着る事ができたんだよね
彼も先輩達に許可をしてもらったんだから嬉しかったと思いますよ
・・・・・・
ところが、担当部長の知らないところでの許可だったもので部長としては怒り心頭です
もちろん彼は先輩に許可をもらっていたわけですが・・
でも当時はまだ体育会系的なところがあったんだよね
Tは部長にメチャクチャ怒られてた
部長としても学校の風紀を乱したとして立場上叱ったんだと思う
彼だって言い返せる事もたくさんあったはず
だけど、ひたすらうな垂れ、涙を流して謝ってた
たかがユニフォームで怒られたくらいでって思うかもしれないが、スキーに熱中してる者にとってはたかがじゃないんだよね
スキーに関する一つ一つが人生なんだ
自分もそうだし
自分は隣に居たんだが、彼のフォローはしてあげられなかった
横で涙を流して謝ってる姿が脳裏に焼き付いてます
その後、彼は部長の家にまで行って再度謝ったらしい
・・・・
その日、彼は白馬にあるアパートに戻ってから自ら首をつって死にました
・・・・
なんでそこまでって思うかも知れませんが、自分にはわかる気がしますよ
やっぱり人生がスキーなんじゃないかな
趣味?遊び?
趣味とか遊びとかではないんだよね
スキーが中心で生活してるって感じかな
彼が棺に入って身にまとってたのは八方尾根スキースクールのユニフォームでした
憧れの八方のユニフォーム着させてもらってたんだよね
数日後、彼のお父さんとお母さんが学校に来て挨拶をされていきました
スキーが好きで好きでたまらない息子
んな息子が大好きだったお父さんとお母さん
辛かったでしょうね
ま、今日はセンチメンタルな事書いちゃったけど 人生の中心がスキーって人って居ると思うんだよね
スキー(基礎)界って楽しいです
しかし、組織となると・・・・
クラブでも県連でも、その上部組織でも、上に立つ人によって下に付くスキーヤーの人生を左右してしまう事ってある
彼は死んじゃって もう居ないけど、たまには思い出してあげないと
ここまで読んでくれてありがとー

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